アメルカって誰?…私のことを知ってください。
こんにちは、アメルカです!
まずは、自己紹介したいと思います。
1991年4月 静岡県生まれ、28歳の女です。
「アメルカ」の由来は、「アメリカ」と本名「ハルカ」をくっつけた名前です。
ちなみにアメルカの旦那さんはアメリカ人(ジャパダム)です。(2017年に国際結婚)
小中学校は地元の市立学校に通い、高校は隣の市へ通っていました。
大学は長野県にある教育学部で、松本市に1年と長野市3年、計4年間住んでいました。松本・長野、大好きです!
大学1年生だった時は松本市に住んでいましたが、ずっと勉強ばかりしていたので、遊び方を知らず、松本市での1年間をダラダラと無駄に過ごしてしまいました。
飲みサー(サークル)に入っていたので、毎週末たくさん飲んで、歯磨きせずに寝る習慣が付いてしまい、むし歯は1本もなかったのに、一気にむし歯だらけとなってしまい、今でもなお、後悔後悔後悔…です。
絶対に寝る前には歯を磨きましょう。
長野市では人生初のアルバイトや、長野の自然を楽しみ、毎日楽しく過ごしていました。
が、私は女付き合いが苦手なので、特に女子会などは誘われても参加することはありませんでした。
なので、大学時代の友人と呼べるのは1人だけです。1人いれば十分(←すごくポジティブ)。
両親が教員だったので私自身も小さい頃から教員を目指しており、実際に教育学部に入ったのですが、両親を見て育ったので、教員の仕事がどれだけ大変か知っていましたし、逆に、教員以外の仕事を知りませんでした。
教育学部ではほとんどの人が教員志望なので、小学校→中学校→高校→大学→教員として学校に戻る、という人生の人たちばかりです。
そういう私もその中の1人でした。
しかし、「本当に教員になりたかったのか?」という問いの答えはノーです。
だって大変なの知ってたもん。
そもそも社会人にもなりたくなかった。
就職活動なんてしたくなかったのが正直な気持ちです。
就職活動って何やればいいか分からなかったし、友人は皆教員志望なので、私も含め就職活動について無知です。
私は友人と一緒に教員採用試験を受け、合格し、教員になってしまいました。
でも、子どもは大大大好きです。
大学卒業後、社会人最初の年は神奈川県で就職。
就職と言っても、教員だったので、教員採用試験しか受けていません。
就職活動なんてしたことないのに、大人になってまた学校生活に戻ってしまいました。
小学校の教員になったのですが、モンスターペアレントやパワハラ、セクハラに悩み、うつ状態。
結局最後は人生初の過呼吸になり、半年で退職です。
本当に辛かった〜〜。
子どもは大好きだけど、自分が幸せじゃなかったら子どもに生きる喜びや楽しさなんて教えてあげられないです。
ちなみに教員時代は、ベテラン先生が何人も残業して毎日22時過ぎまで働いているのに、私は毎日しれっと20時に退社していました。
よくそんな勇気あったな~あの頃。
今振り返れば「やるじゃん、わたし」って思います。
副校長を横目にお先に失礼します、と言って学校の校門を出たら猛ダッシュで走って駅へ向かっていました。
うつだったから家に帰りたい気持ちが強すぎた結果です。
友達も知り合いもいない土地で、残業とストレスばかりの仕事をすることがどれだけ大変か体感しました。
家庭訪問も都会だとすべて徒歩で回ることにも驚いたし、うつ病の保護者もいるし(私を攻撃してくるし)、都会は楽しいかも、と引っ越した当初はワクワクしていましたが、ただただ辛い日々を送り、一人ぼっちで、生きているだけの体を毎日一生懸命動かしているだけの感覚でした。
教員を辞めて本当に良かったと思っています。
(教員に限らず、自分が壊れてしまうような仕事は続ける価値がないと思っています。)
もちろん担当していた子どもたちには迷惑をかけたし、申し訳ない気持ちもあるけれど、担任の先生がうつ病になって苦しんだり自殺したりするよりかは、新しい世界で幸せに生きている方がいいのだと思っています。
教員だった半年間でズタボロになった心と体を静岡の実家へ運びました。
最後の引っ越しで神奈川→静岡まで、JRの鈍行電車に乗ったとき、同じ車両に乗っていたネパール人男性(当時33歳くらい?私は24歳でした)に話しかけられ、話が弾み1時間…一目ぼれされ、ラブアタックを受けました。
名古屋でネパールカレー屋さんのコックをやってるそう。
…いやいや、さすがの私も見ず知らずの人とは結婚しませんよ。
その後、地元静岡県に戻り就職、と言うか転職?就職活動もしたことないのに、転職活動って…本当に何をすればいいか分からず、とりあえずハローワークに行ったり、求人誌を見たり・・・バイトを探している感覚で転職活動していました。
それが間違いだった…。
資格のいらない歯科助手になったのですが、超~~~~~~ブラック!!
こんな職場、許されるの?!っていうレベルです。
10人以上20代の女の子が一緒にご飯を食べるお昼休みが無言です。
医院長の方針で、スタッフ同士が、仲良くしてはいけない、ということで、お互いに苗字しか知らないし、プライベートで会ったり遊んだりするのも禁止でした。
歯科助手なのに、仕事内容は歯科衛生士と同じです。
無資格でいろいろと違法なことをやらされました。
初めは、転職入社から頑張らなきゃって思っていたし、歯のことについて勉強できてとても楽しかったです。
でも、有給なし、希望休も出せない、1分でも1秒でも遅刻したらその月のお給料から1万円引かれます。
しかもお給料は現金で手渡し。
先生に気に入られればお給料はうなぎ登り。
こんな会社おかしい!と思い、転職入社から1年、辞めたいと伝えたところ、簡単には辞めさせてもらえず、結局、辞めたいと伝えてから1年2ヶ月後にやっと退職できました。
退職希望を伝えてからは毎日先生からの陰湿ないじめや嫌がらせに耐えました。
退職するまでの最期の3ヶ月は精神崩壊寸前でした。
あの歯医者、つぶれればいいのに!と何度願ったことか。
それでも、職場で学ばせてもらった知識や(異常な)ルールは計り知れないもので、今でも感謝しています。
歯がいかに大事かを身をもって学びました。
そして、鉄のメンタルを手に入れました。
まぁ、退職希望を伝えて断られたので、何か新しいことを始めようと思い、英会話とスポーツジムに通い始めました。
その英会話スクールで、現在の旦那さん、ジャパダムに出会いました。
出会った当初はジャパダムはあと半年でアメリカに帰国予定だったし、私は仕事を辞められたらカナダにワーキングホリデーに行こうと思っていました。
結局、デーティングを重ね、付き合うことになり、同棲を始めて、2人で北海道に移住を決めました。
なぜ急に北海道??
…ジャパダムがアメリカの北、ウィスコンシン州出身で、静岡は暑過ぎてもう住めないと言ったからです。
また、単純に「北海道移住」って響きがかっこいいでしょ?(←ちょっと自慢げ)
2017年4月、ジャパダムと一緒に北海道へ移住。
(旭川市近くの田舎町、人口4,000人以下)
その後、ブラック歯科助手から解放された私は1人でアメリカのミネソタ州へ。
ジャパダムの家族や親戚家に6週間のホームステイさせてもらいました。
1人でミネソタ州、コロラド州、ワシントンD.C.、ニューヨークへ行きました。
そして6週間で5kg太って帰国。
2019年4月までは旭川市に近い所で楽しくのんびり暮らしていました。
週末はキャンプやハイキングを楽しみ、平日は事務のお仕事をしていました。
勤めていた会社は、事務員だった私にはホワイトな会社でした。
女は私1人だから、周りのおじさんたちもチヤホヤしてくれるし、お給料は低いけど、定時で帰れたし。
1番大事なのは、やっぱり人間関係ですね。
仕事が大変でも、仲間と頑張れば乗り越えられます。
とはいうものの、私のお給料…!スズメの涙!手取りで毎月14万円です、残業代込みで。
残業代で2万円くらいもらっているので、もし残業なしだったら手取り12万円。
さすがに生活きついな~
最近自分の1時間はいくらなのか気になって計算してみたら、時給750円。
まじ?
コンビニのアルバイトより時給安いじゃん、って。正直ショックでしたね。
好きな仕事だったのに、時給を知ったとたん少し嫌いになりました。
私もジャパダムも、北海道が大好き。
私もジャパダムも、寒いところが大好き。
静岡県生まれの私にとって北海道の寒さで試練の連続ですが、家で暖房を使わずに寒さに耐える練習をしたらめっちゃ寒さに強くなりました。笑)
朝はストーブを焚かないので湯たんぽでしのぎます。
家の中でも常にダウン着てたし、朝食は白い息を吐きながら食べていました。
今では北海道民が私よりも寒がっています。
鍛えれば寒さに強くなることが実証されました。
2018~2019年にかけての冬は非常に暖かかったので、ストーブの燃料費は毎月8,000円程度でした。
北海道に引っ越してきた最初の冬は雪も多く、冷え込む日も多かったので暖房をたくさん使っていました(月12,000円くらい)が、燃料を入れに来てくれる人に心配されました。
「あの~、暖房ってちゃんと使ってますか?去年入居していた人と比べると使用量が半分なんですけど…大丈夫ですか?」って。
うける。
まあ実際心配された後、水道管を2回も凍結させてしまい、電気屋さんを呼んで電気を流してもらったりと色々面倒だったので、12月からは毎日水道管のためにストーブを炊いていました。
15度設定のセーブモード。
ストーブがあるのはリビングだけなので、寝室も白い息でした。
私はケチなんだと思います。
ガマンできるなら少しでも燃料費を抑えたいし。
ジャパダムは元々寒さに強いからストーブがあまり必要なくて…静岡にいる家族や北海道の友人からは「なんでそんなにガマンするの?」と聞かれますが、好きでやっていることなので、特に問題でもなくて。
実際、寒さに強い体が手に入れられたし、お金では買えない価値ですよね。(ポジティブ)
原始的なライフスタイルが結構好きです。
湯たんぽ最高ですよ。
田舎暮らしは最高です。
そして今、また私の人生は動き始めました。
2019年4月、大好きな北海道を離れ、アメリカへ移住することに決めました。
ジャパダムと2人で長いこと悩みましたが、家族のことやお金のこと、将来のこと、私たちのライフスタイルや人生のことを考慮した上で出した結論です。
私のビザが取れるまであと数ヶ月かかりますが、1度きりの人生を思い切り楽しみたいと思います。
今、ジャパダムはコロラド州にいます。(私はVISA待ち)
離れ離れで寂しいですが、2人の将来のために辛抱です。
いつか北海道に戻ってこれたらいいなぁ。
2019年4月末~5月末まで、合計5週間ほど、2人でネパールとインドに行ってきました。(ハネムーンです)
2人の共通の夢であった「エベレストベースキャンプまでのトレッキング」を叶えました!
詳しくは別のブログで書き始めたので、興味のある方はそちらも読んでみてください。→ 運動音痴がエベレストベースキャンプに行った。 - Black Blue Japan
ネパールのカトマンズにある修道院で仏教入門・瞑想を10日間、勉強してきました。
インドには1週間滞在し、インドが抱える問題や宗教のことを学びました。
帰国後は静岡の実家に居候。
ジャパダムも1ケ月私の実家に滞在しましたが、9人と犬で生活していたので、非常に窮屈(きゅうくつ)でした。
1週間は実家を離れるためにヒッチハイクに挑戦しました。
(静岡~京都まで行った。)
7月8日にジャパダムは先にアメリカへ帰国。
私は2019年11月くらいにVISAが取れるかな~って感じです。
(配偶者ビザを取るのには、約1年かかります。)
私は実家に残っていますが、家族と考え方が合わず、非常に肩身が狭いです。
母はいつも姉と比較して、姉びいきですし。
私は完全にブラックシープです。
メンタル強くしてアメリカへ行ってやる!!
読んでいただきありがとうございます!
少しでも私に興味をもっていただけたら幸いです。