KYで超ポジティブなアメルカのブログ

KYなアメルカがアメリカ的思考も交えて、思ったことをズバズバ書いていきます。

24歳女、新卒でなった教員を半年で辞めました。

こんにちは、アメルカです。

 

今回は、私の過去の仕事についてお話ししたいと思います。

 

私は大学卒業後、すぐに正規で神奈川県の小学校教員になりました。

 

4月〜9月まで、毎日一生懸命働きましたが、最後は過呼吸になり倒れ、そのまま退職となりました。

 

 

元々子どもが大好きで、教員になりたいという夢を持っていました。

 

当時お付き合いしていた人が神奈川出身だったこともあり、静岡ではなく、神奈川の採用を受けました。

 

競争倍率は2人に1人は合格だったので、正規で教員になりました。

 

 

 

私の配属先の小学校は1学年2クラスの小さな学校で、私は小学校3年生の担任となりました。子どもたちはどのこもかわいくて、仕事大変でしたが、私も楽しく働いていました(最初はね…)。

 

赴任して2ヶ月。

 

6月ころから、ある児童の保護者から急に苦情が相次ぐようになり、その児童が少し不登校気味になり、次第にモンスターペアレントになっていきました。

 

元々モンスターペアレントでマークされていた保護者でしたが、配慮もなく新卒の私のクラスに分配されていました。

 

その保護者がそもそも家庭の事情や仕事の関係でうつ病を患っており、若くて新任の私がいいターゲットになったのです。

 

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とにかく毎日苦情や文句の電話がかかってきました。

 

 

一緒のクラスのあの子が嫌だの、この子がうるさいだの・・・。

だからうちの息子は学校に行きたがらない。と。。。。

 

 

向こうの仕事が終わった後に電話が来るため、電話対応は毎日20時前後、遅いときには21時頃でした。

 

都会の学校は個人の携帯電話番号を保護者の方に教えてはいけなかったので、保護者の方との連絡を取るのは必ず学校の固定電話でした。

 

そのため、帰りたくても職場に居なくてはならない状況に陥りました。

 

不登校になった我が子の責任を取れ」とか「自分の子どもをしっかり見てくれていない」とかいろいろ電話で言われて、2度目の家庭訪問へ行きました。

 

30分間、玄関で怒鳴り散らされて、心がズタボロになりました。

 

めっちゃ罵倒されましたよ。

 

 

初めての家庭訪問は4月。2度目の家庭訪問は6月でした。

 

1度目の家庭訪問のときには優しかった保護者が、2ヶ月もしないうちにモンスターになるとは思ってもみませんでした。

 

しかもラスボス的なレベル。

 

もともとモンスターペアレントで有名だった人が、またモンスターになった瞬間でした。

 

2度目の家庭訪問では隣のクラスの先生が一緒に来てくれましたが、家庭訪問終了後、泣きじゃくる私を近くのファミレスに連れて行ってくれました。

 

 

まだ知り合って2ヶ月の人の散々怒鳴り散らされ、2度目の家庭訪問で「私はあなたが嫌いです。なんですか、その目は!」と睨みつけられました。

 

・・・初任2ヶ月(24歳)でこの状況はさすがに辛すぎました。

 

知らない土地で、知り合いも友人も家族もいない。本当に毎日が地獄でした。

 

(付き合っていた彼もまた、中学校の教員で、刃物を振り回す生徒を抑えつけるような日々を送っていました。中学校は土日も部活動でつぶれ、会う余裕はありませんでしアた。)

 

大好きな子どもたちを一生懸命指導しようとしているのに、それも伝わらず、頭ごなしに全否定される。

 

 

そうして私はうつになったのです。

 

 

次第に眠れなくなり、笑顔が消え、体がだるくて職場へ向かう足取りが重くなり、今まで15分で歩いていた、駅から学校までの通勤は30分以上かかるようになりました。

 

 

 

それでも子どもたちの前では気丈に振る舞い、赴任から夏休みが始まるまでは無遅刻無欠勤、土日も出勤で本当に頑張りました。

 

 

 

もう、心も体も限界でした。

 

 

 

アメルカは元々超ポジティブな性格なので、自殺なんて考えは持ちませんでしたが、仕事を辞めたいのに辞められない、という状況にいて、多くの日本人はこうやって死を選択してしまうんだな、と感じました。

 

生きていても死んでいても同じような感覚というか…とにかく解放されたい、助けてほしい、という気持ちがあるのに、責任感などから仕事を辞めることができないのです。

 

でも、自殺だけは絶対に選んではいけません。

 

本来、生きることは楽しいのですから。

 

 

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夏休みになって速攻で静岡の実家に帰省しました。

 

ズタボロになった私を見て家族は本当に心配していました。

 

本当に心配されていることを感じました。

 

夏休み中にこのまま教員を続けるのか、辞めるのか、うつの診断をもらって特別休暇を取って少し休むのか、考えました。

 

毎日考えた結果、やはり受け持っている子どものこともあり、自分のできる限り続けようと決めました。

 

辞めることはいつでもできるから、と。

 

また、うつ病の診断をもらいたくなかったのも理由です。

 

 

うつ診断をもらうと、保険などに加入しにくくなったり、将来的にもし転職することになったら、絶対にマイナスに働くからです。

 

 

実際、うつ診断をもらわなくて本当によかったと思っています。

 

このご時世、うつ診断をもらうことは非常に簡単です。

 

でも1回もらってしまったら、取り消すことはできないし、今後の人生に一生付きまとうのです。

 

骨折やケガなどと違い、心の病は完治したと言っても周りには信じてもらえないこともあります。

 

特に転職活動での面接で…。

 

 

 

結局、夏休みが終わり、気持ちを切り替えて頑張ろうと、うつを乗り越えようとしていた時に、再びモンスターペアレントから電話がかかってきました。

 

ちょうど夏休み明け1週間後くらいでした。

 

少し残業をして、さあ帰ろうとしていたときにかかってきた電話を、管理職が私に取り次ぎました。

 

 

本当に、帰る直前だったので、トイレまで行った私を、呼ぶ管理職。

 

私は、用を足す前に電話に出ました。

 

 

そのときの電話内容は別に怒っている訳でもなく、文句でもなかったのですが、私の体がストレスに反応してしまい、人生初の過呼吸になりました。

 

過呼吸って死ぬかと思うくらい怖い感覚です。実際に死を感じましたが、それも過呼吸の症状らしく、実際に過呼吸では死なないそうです)

 

 

 


私が過呼吸なって、誰かが保健室の先生に連絡を取ってくれて、安静にして袋で呼吸を整えたりと色々対処してくださいました。

 

しかし、私が過呼吸になった件の職員同士の連絡の関係で電話がずっとなっていて、その電話の着信音にさらに反応してしまい、過呼吸の症状は悪化する一方でした。

 

 

 

学校としては、救急車を呼んで問題(話題)になることを避けたかったので2時間近く、校長室のソファの上で寝かされました。

 

 

結局、症状が悪化したため、夜間病院に連れて行ってもらえました。

 

 

タクシーでの移動だったので、担架に乗せたり、タクシーの車内に詰め込まれたりと、硬直した体を大きく動かされ、あまりの痛さに何度も悲鳴をあげました。

 

 

そしてなんとも残念なことに、今まではズボンで出勤していましたが、もっと明るい服装で働いてリフレッシュしよう、と初めてスカートで出勤した日でした。

 

担架に乗せてもらうときにスカートがガッツリめくれ、パンツ丸見え。

 

残念すぎる~。

 

 

 


病院に着いて硬直した体が痛くて「痛い、痛い」と医者に訴えましたが、

 

医者に過呼吸の症状が強すぎて今点滴を打ったらもっと辛くなってしまうから、何もできない!他の患者さんもいるから静かにしてて」とバッサリ言われました。

 

 

私はそのまま気を失い、目が覚めると両親と姉が静岡から駆けつけて来てくれました。

 

職場の管理職の先生方もいましたが、何とも言えない雰囲気で。

 

と言うか、めっちゃトイレに行きたくて…。

 

ぼうこうがパンパンで限界でした。

 

失禁しなくて良かった…。

 

 

気を失ったあとに点滴をしてもらっていて、トイレに行きそびれて電話に出てしまった分のオシッコと、倒れて注入された大量の点滴により、人生で最も長くて気持ちの良いオシッコを経験しました。

 

病院からはそのまま家族と一緒に実家に帰されました。

 

 

 

 

そのまま2度と職場に出向くことはなく、退職する流れとなりました。

 

こんな形で子どもたちの前から突然姿を消したことは、本当に申し訳なく思います。

 

ですが、やはり命や健康、体が何よりも大事だと気づかされました。

 

自分が幸せで、人生を楽しんでこそ、周りの人を幸せにできるのだと思います。

 

うつのまま子どもたちを教えても、良いことはありません。

 

辞めてよかったと思います。

 

 

 

 

他にも職場を辞めてよかったと思う理由があります。

 

 

職場の管理職もすごく変わっている人で、めちゃくちゃ過干渉な女性上司でした。

 

何をしても怒られる、文句を言われる感じでした。

 

1番驚いたのが、朝出勤時に、たまたまその管理職が職員室に居なくて、朝の挨拶をするタイミングを逃したので、「まぁ今日くらいいいか」と思って普通に働いていたら、その人に呼ばれ、「今日私に朝の挨拶した?」と聞かれて怒られたことです。

 

 

1番遠い席に座っているのに、わざわざ朝の挨拶をしに上司の所までいかなくてはならないのか??

 

もちろん出勤時に会えば挨拶はするけど、いなかったら仕方ない日もあると思うんだけど…。

 

 

 

 

 

 

1人の男性教員からのセクハラもありました。

 

「今日の服装はいいですね」とか「今日は何をしているの?」とか、休日までメールが来たり、「帰るのが早いね、仕事が早いんだね」とか嫌みのメールが来たり。

 

コミュニケーションが下手なオタクっぽい人だったので(30歳独身メガネ出っ歯)かなり気持ち悪かったです。

 

残業して20時頃職場を離れて駅に向かっていると、後から走って追いかけてきて一緒に帰らなくてはならなくなったり。

 

なんか、まじでヤバイ人でした。

 

 

 

 

 

同期で入った唯一の相談相手の男の子も…あわよくば、が多すぎて残念でした。

 

何かにつけて私の家に来たがるし、プライベートの話ばかりしたがるし(当時は彼氏がいた)。

 

仕事で弱っている私をたくさん励ましてくれましたが、下心が…手をつなごうとしてきたり、うつで泣いた私を抱きしめてきたり。

 

しかも新幹線のプラットホームで。

 

 

優しかったけど、違った。

 

私が仕事を辞めたいと相談したときに、「俺の家に住めばいいよ。俺が稼ぐから、ちょっとアルバイトして月6万円くらい稼げば大丈夫だよ」と言ってくれました。

 

…嬉しかった。・・・って、なるわけないじゃん。

自分に酔いすぎだよ。

 

私は彼女でもないし、恋愛対象として見てないし、ってか彼氏いるし!

 

本当に人に恵まれなかったな~と感じます。

 

 

もちろん、たくさんグチを聞いてもらったし、大変な時に励ましてもらい、支えてもらったので、同僚の彼には感謝しています。

 

でも、同僚は同僚。

一線は越えません。

 

 

 

 

 

 

倒れてから実家に戻り、職場からは私の持ち物が段ボールに入って送られてきました。

 

 

そのまま退職となり、最初は実家でも居心地が悪く、気持ちが沈んだままでしたが、家族や友人に支えられました。

 

 

また、だいぶ回復してきたので気分転換に姉とベトナム旅行に行きました。

 

 

が、母はめっちゃ怒っていました。

 

「あんた仕事も辞めて何遊んでるの!」とね。

 

 

いやいや、心を健康にするためだよ、と言っても理解してもらえませんでした。

 

友人に会ったり、いろいろなことをするようになり次第に元気を取り戻しました。

 

私は本来、元気で明るく、超ポジティブでお喋りです。

 

こんな私でもうつになるなんだと思うと、日本には本当にたくさんのうつの人がいるのだと思い、心配になります。

 

仕事で苦しい人は、すぐに助けを求めてください。

 

仕事以外で苦しい人もSOSを発信しましょう。

 

私も何でも話を聞きますし、助けたいと思っています。

 

あなたのことを助けたい人は、たくさんいます。

 

 

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辛い経験は自分を成長させてくれます。

 

辛かった当時や退職後は長い間、子どもたちに無断で退職した無責任な自分を責めていました。

 

自分は弱くて能力が低いから仕事を続けられなかった、嫌なことから逃げたひきょう者だ、と思っていました。

 

しかし、今は過去の自分を認めてあげることができます。

 

「よく頑張ったね」と。

 

当時の私は本当に、毎日一生懸命働いていましたし、担任する子どものためにいろいろと工夫していました。

 

過去の自分を認めてあげることで、過去の自分の努力や苦しみが救われました。

 

これ、大事です。

 

心も成長できますし、自信にも繋がります。

 

 

なにも大変な経験や苦労、苦境を味わったことのない人と比べて、人生が豊かになるし、相手の立場に立てるようになります。

 

仕事を辞めることは悪いことではありません。

 

まずは自分の心と体を第一に考えてみましょう。

 

 

 仕事で苦しんでいる人、仕事は辞めていいです。

 

 

何よりも大事なのは命です。

 

 

 

今まで何度も仕事を辞めた私が言えることは、「体と心が1番大事」だと言うことです。

 

仕事なんて、いくらだってあります。

 

自分の体と心をつぶしてまで「がんばれ、続けろ」なんて言ってくる人は、あなたのことを大事に考えていません。

 

 

世界にはあなたを必要とする人や場所が必ずあります。

 

転んだって、失敗したって、次にまた頑張ればいいのです。

 

方向性を変えて、他のことに挑戦するのもありです。

 

 

 

今の私は、自信をもって「半年で正規小学校教員を辞めました」と言えます。

 

 

だって、あの半年間は本当に一生懸命働いて、子どもたちのために全力を尽くしていたから。

 

 

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